最近、ご家族や大切な方を亡くされた患者さんとお話をする機会が多かったように思います。
やはり家族や大切な方を失うことは悲しく辛いことですから、すぐに前向きになるなんて無理なんです。
病気だってそうです。
なりたくもないし辛いことなのに、良かったなんてなかなか言えません。
しかし、患者さんの中には、「病気になってよかった!」と言われる方がいるんです。
病気になって気づいたことで、人生が好転したと。
今あることへの捉え方によっては180度向かう方向が違ってきます。
ソニーの研究所で先端技術の開発・研究に携わり、近年はエンターテイメントロボット・アイボ、ヒューマノイドロボットの製作責任者としても知られ、その経験より技術評論、人材開発論にも健筆を振るう天外伺朗さんのお話からも、運命の方向性の考え方が学べます。
運命を変えたいという人はたくさんいらっしゃいますよね。
講演なんかで例えば200人の方が集まっていたとして、運命を変えたいと思っている人はいますかって聞くと、大抵30-40人は手を挙げるんです。
私がそこで考えるのは、その運命を変えたいという思いの裏に、いい運命と悪い運命を区別しようとする心があるということなんです。
でも、それは本当に区別できるんでしょうか。
ここが一番大きなポイントなんですよ。
いま、私は医療のことをやっていますが、うちのお医者さん方は腕がいいので、難病がどんどん治るんです。
そうすると、病気が治ってよかったって皆喜ぶわけですね。
それは当たり前の話なんですけど、なかには病気になってよかったという人がいるわけです。
病気になったおかげでこんな気づきが得られた。
いままでの人生と180度変わったと。
これは「実存的変容」というんです。
そうすると、病気が治ったことよりも、その実存的変容のほうが人生ではずっと大切なんじゃないかと私は思うんです。
病気という、一見不幸に見える出来事の中に、気づきというものすごい幸運が実は隠されているのです。
それは病気に限らず、あらゆる出来事がそういう具合になっています。
これを昔の人は「人間万事塞翁が馬」と言ったわけですね。
ですから、幸運と不運というのは本来は分けることができないはずで、幸運でも不運でもないものが、ただひたひたと押し寄せてくる。
これが人生なんじゃないかと私は思うんです。
このことを私はよく波に喩えるんです。
波というのは山があったり谷があったりして、エネルギー的に見ると、山のところは位置のエネルギーが最大で、スピードのエネルギーがゼロです。
そして谷のところはスピードのエネルギーが最大で位置のエネルギーがゼロ。
その両方を足し算すると、どこでも同じだけエネルギーがあるのです。
運命を変えたいという人は、その波の谷を逃れて山だけに行きたいと思っているのです。
それは無理な話で、山だけの波というのは存在しませんよね。
そういう具合に、われわれはいろんなエネルギーといろんな出来事を、宇宙の計らいとして受け取っているだけなのではないかと思うんです。
もちろん、そのことを理解したからといって、すぐに人生が変わるわけではありません。
やはり地道に自分の心を開発して、運命というものに対する受け止め方を少しずつ変えていくしかないでしょうね。
天外伺朗(ホロトロピック・ネットワーク代表)『致知』2005年11月号より
当院の理念にもあるように、私達は、医療を通じて一人でも多くの方に、健康であることの幸せを感じてもらえる存在でありたいと願っています。
健康とは、心も体も社会的にも健康であること。
病気がなくても薬を飲んでいなくても、精神的に不安定であれば、本当の健康とは言えません。
薬を飲んでいても、今ある状況を良かったと思えれば、健康とも言えます。
誰だって病院にはできれば行きたくないじゃないですか。
でも、病院に行きたいと思えるようになっていただく。
当院のスタッフはそれぞれの立場で、常にそのことを意識しています。
来週、当院は開院3周年を迎えます。
これからは、大きな方向転換もあるようですので、みなさん楽しみにしていてください。
院長 野村