先月ある試験を受けました。
準備期間は半年。
しかし、本格的に勉強したのは1か月前。
しかも朝のみ。
これぐらいでも大丈夫だろうという甘い考えがあったのだと思います。
ところが、当日試験問題を見て驚きました。
今年から問題形式が変わっており、3つのうち2つでも分かればだいたい正解が予想できたところが、すべて分からないと正解しない形式になっていたのです。
とにかく100問の問題を時間内に解いて、あまった時間で気になるところを見直して答えを変えたり、意外に余裕もあったのですが、なんとその変えた答えがほとんど間違っていたのです。
そして追い打ちをかけるように、自分の知らない過去問が公開されていたことも判明。
あまりの詰めの甘さに呆れることより情けなくなりました。
よく減量をしている患者さんにも、「これ以上できないというところまで来ているなら仕方ないですよね」と、やさしさとも厳しさともとれる言葉をかける割には、自分はどうなのか。
「これ以上できない」と言い切れるまで物事はやらなければ、本当に自分に必要な結果はついてはこないような気がします。
今日は、やりきったという気持ちはどのように得られるのか、エリートでもなく秀でた才能もなかった元競輪選手の梶山祐司さんの物事への取り組み方を御紹介します。
2年前、私は通算34年に及ぶ競輪選手生活にピリオドを打ちました。
もともと運動神経がよいほうではなく、走るのも速くはなかった私にとり、競輪人生は試練の連続でした。
努力が結果に結びつかない現実にも幾度となく直面しました。
しかし、日々の練習や勝負の中で、私は人生の宝物ともいえる掛け替えのない学びを得ることができたのです。
家が貧しかったため、兄は中学を出てすぐ働きに出ていました。
私も将来を考える時期に差し掛かった頃、たまたま兄に連れていかれた競輪場で、人間が自らの力で生み出すスピードの凄さにたちまち魅了されました。
こんな素晴らしい世界で日本一になってみたい強い思いに突き動かされ、私は競輪選手を目指すことにしたのです。
プロになるためには、まず競輪学校へ入学しなければなりませんが、定員の十倍もの志望者が殺到します。
資質に劣る私は、とにかく人の何倍も練習しようと決意し、多い日は夜中の1時半からその日の21時まで20時間近く、限界を超える鍛錬を積んで合格を果たし、入学後も人一倍練習を重ねてプロになったのです。
当時、競輪選手は4000人以上いました。
レースは実力別に7つのクラスに分けて行われ、これも当時の頂点であったA級一班の120人に
入ることを目指してしのぎを削るのです。
もちろん私の目標もA級一班でしたが、とても口には出せませんでした。
周りはインターハイの優勝者など、桁外れの脚力の持ち主ばかり。
一方私は、競輪学校のコンピュータによる体力分析で、プロでは勝てないと指摘されていたのです。
しかし私の視野には、苦労してプロの切符を手にした競輪の世界しかありませんでした。
3年やって駄目なら死ねばいい。
その代わり命懸けで3年やろうと決意しました。
早朝に静岡市内の自宅から御前崎まで往復80km、朝八時に再びサドルにまたがり河口湖まで往復200km、戻ってくると競輪場で19時までスピード練習を行い、さらに20時から大井川方面まで走って22時に帰宅。
少ない日でも1日200km、月6000km、年間72000km、死にもの狂いでペダルを漕ぎ続けました。
私以上に練習した人はおそらくいなかったと思います。
最初はなかなか勝てませんでしたが、3年経つ頃には努力が確実に成績に結びつくようになり、8年で念願のA級一班入りを果たすことができたのです。
コンピュータで筋力は分析できても、人間の気力までは分析できません。
気力さえあればデータなど吹き飛ばしてやり遂げることができるのです。
しかし、そこからの道のりも決して平坦ではありませんでした。
度重なる練習やレース中の事故で延べ50本にも及ぶ骨折に見舞われましたが、そこから再起しました。
一番大きな怪我は頸椎の骨折でした。
「もう駄目だ」、何回も何回も思いました。
やめるべきか、再起すべきか。
もし再度落車すれば半身不随の可能性もある。
悩みに悩みましたが、再起の道を選びました。
心の支えになったのが須永博士さんの詩でした。
〝もうだめだ〟/そこから人生が/はじまるのです/
そこから/本当の自分を/だしきって/ゆくのです/
そこから/人間這いあがって/ゆくのです/
〝もう駄目だ〟/そこからもっともっと/
すごい強い自分をつくって/ゆくのです
苦しい時、本当の自分が姿を現します。
そこで駄目になるのも自分、もっと凄い自分をつくっていくのも自分。
そこから本当の人生が始まるのです。
「敵は己の心の中にあり」といいます。
敵は外にあるのではなく、そう思う自分の心の中にある。
俺は絶対に負けないーー心の中で反芻し、懸命に自分を奮い立たせました。
こうした厳しい選手生活を通じて私が得たことは、「命 いただいて生きている」ということでした。
生かされていると気づけばもっと謙虚に生きられます。
試練のない人生はありません。人それぞれの運命があります。
人はその運命を我という欲によって変えてしまいます。
じっと我慢して耐えなければならない時に、目先の欲に飛びつき大成の道を閉ざす人がいます。
そういう人には道は見えません。
「志」があれば欲に翻弄されずに歩いて行けます。
我欲を捨てた時、真の勇気が湧いて無心の自分になれるのです。
私はこれまで道を探して生きてきました。
未来に答えを探してきました。
しかし、ある時その答えが未来にあるのではなく「きょう一日」といういまにあることに気づきました。
いまの積み重ねが道をつくります。
あらゆる困難を克服し誠実に生き、そして振り返った時に自分の道はできているものです。
その時に生きている道が分かるのではないかと私は思います。
自分の身に起こることは偶然ではなく、天が自分を試すために与えてくれた試練なのだと思います。
この世は不条理なことばかりですが、不条理だからこそ魂が磨かれるのです。
現役を退き、後進を指導する立場となりましたが、自らの体験を踏まえて努力の尊さを伝え、人間の根を養うお手伝いをしたい。それが私の願いです。
梶山祐司(元競輪選手)『致知』2013年8月号「致知随想」より
志の低さが、努力不足に繋がったのだと思います。
最近は、目の前の物事に一喜一憂し、自分の “軸” を忘れてしまっているようです。
この世は不条理なことばかり、でも不条理だからこそ魂が磨かれる。
試験が終わって1ヶ月ふて腐れていました。
しかし、そんな私でも少しの努力を神様は認めてくれたようです。
これからも、皆さんを少しでも若々しく元気にできる医療を創り上げていきます。
院長 野村