ルーズベルトゲーム!
ドラマはほとんど見ませんが、日曜の21時ということもあり、毎週楽しみにしているTVです。
まあこてこてのドラマといってしまえばそうなのですが、唐沢寿明が率いる会社がいかに経営悪化の状態から抜け出すのか、そして会社が抱える弱小野球部がいかに勝ち抜くすべを持つのか。
野球は、8対7が一番面白いと、ルーズベルト大統領が言ったことから、ルーズベルトゲームと名前がついたそうです。
逆転に次ぐ逆転!
弱小野球部と言えば、昨年の大学野球の頂点を決める全日本大学野球選手権大会。
昨年、同大会で優勝の栄冠を手にしたのは群馬県にある上武大学でした。
東京六大学や東都大学、関西リーグなどスター選手を揃える強豪を押さえての優勝。
この上武大学を初めての優勝に導いた谷口英則監督が語った「小が大に勝つ秘訣」
私は、非常に共感するものがありました。
2013年6月16日、我われ上武大学野球部は全日本大学野球選手権大会で初めて優勝の栄冠を手にしました。
大学野球日本一
それは監督の私にとって遙か遠くの存在でした。
大学野球の強豪は言うまでもなく、東京六大学や東都大学であり、群馬県にある我われのような地方大学にスター選手はほとんど集まりません。
そんな中で、なぜ大学野球の頂点に立つことができたのか。
私自身、指導者として足りない部分が多くありますが、すべてはご縁に導かれてきたというのがいまの心境です。
指導者への憧れは現役時代から抱いていました。
そのためには選手として結果を残さなければと思い、28歳まで現役でプレー。
浦和学院高校のエースとして甲子園ベスト4、その後東洋大学、東芝と名門に進み、1993年アジア選手権の日本代表にも選出されました。
そんな私が上武大学野球部の監督に就いたのは2000年、30歳の時。
大学時代の恩師、高橋昭雄監督から声を掛けていただいたのがきっかけでした。
着任早々、私は衝撃的な光景を目にしました。
選手たちはバイクに2人乗りでグラウンドに現れ、身なりは茶髪にロン毛、練習後はタバコを吸いまくる。
ギャンブルに明け暮れたり、喧嘩で警察のお世話になったりと、スクールウォーズさながらの状態だったのです。
最初はとにかく選手たちを捕まえては練習させる。
その繰り返しでした。
当時私は現役を引退して2年足らず。
当然大学生のレベルとは圧倒的な差があります。
そこで私は、実力を見せつけることで、彼らの目をこちらに向かせようと考えました。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ」
という山本五十六の有名な言葉がありますが、まずは「やってみせる」ことから始めていきました。
するとどうでしょう。
当初私は2、3年かけて勝負できるチームをつくろうと思っていたのですが、彼らに「どうしたい?」と聞くと
「リーグ優勝して神宮に行きたい」
と言ったのです。
やんちゃで負けず嫌いな性格ゆえに、心の奥底に熱いものを秘めていたのだと思います。
とはいえ、いまの状態では到底優勝などできるはずがありません。
そこからまさに全力投球、毎晩11時過ぎまで厳しい練習に打ち込む日々が続きました。
そしてこの年、見事リーグ優勝を果たし、神宮への切符を手にしたのです。
全国大会は2回戦敗退に終わったものの、その日の慰労会の席で、引退する4年生全員が正座をし、
「監督、夢が叶いました。本当にありがとうございました!」
と、頭を下げたのです。
それまでの苦労がすべて報われた瞬間でした。そして、私は選手たちにこう約束しました。
「10年後、おまえらが上武大学野球部OBです、と胸を張って言えるようにするからな」
これが私の監督としての原点であり、本当の意味でスタート地点に立った時だと思います。
そこから苦節13年。
指導にあたって常に心がけてきたのは、「考え方一つで結果に大きな差が出る」ということ。
選手たちにはよく次のような話をします。
「オギャーと生まれた時点で一人ひとり家庭環境は違う。貧乏な家もあれば、お金持ちの家もある。野球も同じ。レギュラーで試合に出る選手もいれば、裏方でスコアラーを務める選手もいる。その上で一つのチームが成り立っていく。だから、自分の思い通りにいかない時に、努力して這い上がるか、諦めるのか、どちらの心を持つかで人生は変わっていく」
昨年の決勝戦、一点を追う六回表の攻撃。
一死満塁という絶好のチャンスで私が代打に指名したのは清水和馬という4年生の選手でした。
彼は入学当初から控えだったにもかかわらず、決して諦めることなくコツコツと練習を積み重ね、4年生の春、初めて試合でヒットを打って涙を流した選手で、皆からも愛されていました。
ゆえに、勝つための采配ではなく、「清水はチーム一の苦労人。これでダメだったとしても全員が納得できる」という思いから打席に送り出しました。
そして…。
結果はなんと、大会史上初となる代打逆転満塁ホームラン。
この値千金の一発が決勝打となり、日本一に輝くことができたのです。
これまで一千人近くの選手を指導してきましたが、「伸びる選手はチャレンジする」というのが私の実感です。
チャレンジすればその分だけ失敗もするでしょう。
しかし、どれだけ失敗したかが、その人の器量を広げ、人間性を創り上げるのです。
谷口英規(上武大学硬式野球部監督)『致知』2014年6月号 「致知随想」より
失敗させる勇気。
経営者、指導者は然り、子供をもつすべての親にも必要なことだと感じています。
人を育てるには、本人の努力もそうですが、チャンスを与えることも大切。
そこには信じる力が必要です。
今日は妻の誕生日。
今までの数え切れない私の失敗を許し信じてきてくれたことに感謝したいと思います。
院長 野村