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本当に喜ばれる親孝行

2012年09月08日

毎日ブログを続けることを止めたのですが、その他にもトレーニングと称して、スタッフでいろいろしていたことも止めました。

 

少し楽になったような、気を張った感じが無くなったので、このゆとりをいい方向に持っていかなくては思っています。

 

ブログもどうしようかと思っていたのですが、何人の方々から、ありがたい励ましの言葉をいただき、会えない方々ともブログで繋がっていたのだと思うと、この数日間ですが、何か寂しさも感じました。

 

医療とは直接関係ないのですが、“こころの豊かさから健康へ” という当院のコンセプトを考えると、不定期にでも、私がこの話いいなあと思うことをブログを通じてお伝えしたいと思います。

 

 

今日は、板東英二さんのお話しなのですが、いつも友人からいい話をいただく中で、私の大好きだった卵(今は高コレステロール血症になったため、4年近く控えています)と、みなさんも大切にされている母親のことについてのお話が良かったので、ご紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

 「ひもじい思いさせて、すまなかったねえ。ごめんね」

 

 それが母の口癖だった。

 

 

 母は、満州から五歳の僕をおぶって、ひたすら日本を目指した。

 

 ゆで卵が、好きなのには理由(わけ)がある。

 

 僕、板東英二にとって卵は特別な食べ物。

 

 

 満州からひきあげてくる五歳の僕を救ってくれたのは、卵と、母の愛だった。

 

 なんとしても生きる。なんとしても日本に帰る。

 

 母があの想像を超える寒さの中、僕をおぶって日本を目指さなかったら、

 

 もちろん今、僕はここにいない。

 

 満州で生まれ、五歳のとき敗戦を迎えた。

 

 たった一夜で、全てが変わる。

 

 いきなり襲われる。

 

 突然、追われる。

 

 そのころの記憶はほとんどないけれど、

 

 何かが変わってしまったという非常事態は、肌で覚えている。

 

 逃げた。

 

 父は戦地にいたので、母は子供四人を連れ、逃げた。

 

 いちばん末っ子の僕を背負って、山を越え、涙も凍る平原を進んだ。

 

 夜、母は僕を木の上に縛り付けた。

 

 地面は凍っていて、子供はあっという間に凍死してしまう。

 

 だから母は木をよじのぼり、僕を過酷な現実という大地から守ってくれた。

 

 

 結局、僕たちが博多にたどりついたのは、満州を出てから一年半後。

 

 全員、栄養失調で立つことができず最後は、這うようにして日本の地に着いたらしい。

 

 ほんの数回手に入った卵が、僕たちの命を救ってくれた。

 

 うつろう不安をぶつけたとき、母は言った。

 

 「どんなときも、お天道様は必ず観てるから」

 

 

 僕、板東英二にとって母の存在は、特別だ。

 

 満州から五歳の僕をおぶって、ひたすら日本を目指した。

 

 無蓋列車。

 

 囲いのない列車の荷台の上のたくさんの乗客。

 

 振り落とされないように、子供を真ん中に置き、それを母親たちがとり囲む。

 

 列車の揺れ、母のぬくもり。

 

 自分が何から逃れ、何処へ行こうとしているのか。

 

 思えば、七十を過ぎてもなお、忙しく働いていないと不安になる性分は、

 

 あの五歳の体験に根ざしているのかもしれない。

 

 

 この世は一瞬で変わる。

 

 昨日まであったかいスープを飲んでいた自分が、今日は囲いのない列車に揺られ飢えている。

 

 ただひとつ変わらないものがあるとするなら、

 

 それは、

 

 母の思い。

 

 

 母は亡くなる寸前まで、「ちゃんと食べてる?」と僕を気遣った。

 

 「ひもじい思いさせて、すまなかったねえ。ごめんね」

 

 それが口癖だった。

 

 一生懸命、働いてくれた。

 

 愚痴ひとつこぼさずに、僕たちきょうだいを育て上げてくれた。

 

 「大学、いかしてあげるからね」

 

 そんなふうに言ってくれたけれど、僕はプロ野球の道にすすんだ。

 

 

 僕がどんなに稼いでも、母の口癖は変わらない。

 

 「ちゃんと、食べてる?」

 

 

 僕、板東英二は思う。

 

 この世は、なんて理不尽で不条理なのかと。

 

 明日、今、この瞬間に何が起こるかわからない。

 

 どんなに努力しても、それが報われるか保障はない。

 

 満州で敗戦を迎えたこと、

 

 野球という世界に身をおいたこと、

 

 それらが僕に世界のしくみを教えた。

 

 うつろう不安をぶつけたとき、母は言った。

 

 「どんなときも、お天道様は必ず観てるから」

 

 母は、僕が結婚しても家に来ようとしなかった。

 

 理由はただひとつ。

 

 英二にひもじい思いをさせたから

 

 そんなことはないのに、それが母の中のケジメだった。

 

 

 甲子園、プロ野球。

 

 勝負の世界で戦う僕に、母はお守りをくれた。

 

 あるとき、そのお守りをあけると、中に、大豆の豆が三粒。

 

 母ちゃん、どれだけ食べること気にしとるんや。

 

 実家に帰れば、オコワとゆで卵。

 

 母ちゃん、大丈夫、もうちゃんと食べてるから。

 

 

 亡くなる三日前に、母に会った。

 

 「英二、氷が食べたい」

 

 口の中に、氷を入れてあげた。

 

 うれしそうに、母は微笑んだ。

 

 それが最期だった。

 

 我慢して我慢して、最後に氷を美味しそうに食べて母は逝った。

 

 母ちゃん、ありがとうね。

 

 英二は、なんとか食べてるよ。

 

 いまは、ゆで卵を好きなだけ食べてるよ。

 

 

 母ちゃんへ

 

 ほんとに、長い人生になりました。

 

 もう少し頑張ったら、母ちゃんが死んだ、その日に追いつきそうです。

 

 でも今は、自分でおいしいもんがちゃんと食べれます。

 

 ありがとう、と言いたい時に母ちゃんいないけど、

 

 でも、またお墓の前に行って、

 

 ありがとうと言います。

 

 ほんとに、僕にとっては、母ちゃんが本当に誇りとして、

 

 そして英二の宝物として、

 

 今でも大事にしとります。

 

 

 ほんとに母ちゃん、ありがとう。

 

 

 

                                                                 出典     東京FM  ゆうちょ銀行  letter for links

 

 

 

開院記念日に合わせて、母が手紙をくれました。

 

やはりいくつになっても心配なようです。

 

82歳の母親を一人田舎に残して、心配をかけることも始めて、親不孝と言えばそうなのかもしれません。

 

そんな気持ちを分かってくれているのか、今は兄が母の面倒をよく看てくれています。

 

 

感謝。

 

 

私は偉そうには言えませんが、親の健康は子供の健康からも得られるものです。

 

 

みなさんの健康が親孝行に繋がると思うと、これからも宜しくお願いします。

 

 

                                       院長 野村

 

 

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