高校野球もそろそろ終盤戦となってきました。
桐光学園のピッチャーは今日も12奪三振でしたね。
彼は、ドラフト注目選手になることは間違いないでしょう。
しかし、毎年、甲子園で活躍する選手がいますが、プロに入ってもそのまま通用するとは限らないのは、プロの世界が厳しいのか、それともそのほかに理由があるのか。
その中には、投球フォームや打撃フォームの矯正の失敗などもあるようです。
変えなくてもいいものを変えてしまう。
基本というものにこだわり過ぎて、個性を打ち消してしまう指導(教育)は本当に必要なのでしょうか。
今日は、野球選手のカリスマ的存在のイチローから、個性について考えてみました。
『改革者は、はじめは常に異端である』
いつも人と違うことをしたい。
人と同じ方向は見ない。
人が変わるならぼくは変わらない。
人が変わらないならぼくは変わる。
「04年自分の人生観について語った言葉(イチロー)」
人が生まれ持つ素質はさまざま。
平等を建前とした画一的な教育は、場合によってはその人間が本来持っている、 優れた個性や才能を潰(つぶ)してしまう恐れがある。
イチロー自身、他人によって自分の個性を削られ、奪い取られるような怖さを身をもって経験している。
オリックス・ブルーウェーブ時代にバッティングフォームを矯正されることを拒否し、自ら2軍落ちを志願したのはその典型的なケースだった。
もちろん、その一方では愛工大名電高校時代の中村豪監督や、オリックス時代の 故・仰木彬(おおぎあきら)監督など、イチローの個性を伸ばすことを大いにバックアップしてくれた人たちにめぐり会うことができたのは、彼にとって大きな幸運だったと言える。
自分を周囲に合わせ、同じように横並びで人生を生きることは簡単であり、また精神的にも楽である。 しかし、それではこの厳しい競争社会で頭角を現わし、勝ち残っていくことはできない。
自分に向けられる他人のさまざまな批評や評判などをあえて無視し、自分が信じられることを一貫した姿勢で徹底的に追求する。
この姿勢を貫き通すことができれば、たとえ何が起こっても、人に惑わされずに納得した人生を送ることができる。
人生には逆境のときも順境のときもある。
だがどんな状況にあっても自分の哲学を持ち、信念を曲げてはいけない。
それがこれからの時代を強く生き抜く秘訣である。
『天才・イチロー 逆境を超える「言葉」』 児玉光雄 イースト・プレス
商売において、繁盛している店をマネる店がありますが、 マネをして一時はよくなったとしても、何の工夫もなくマネるだけなら、それはすぐにダメになります。
やはり、ホンモノとの差は歴然とわかってしまいます。
この変化の激しい時代は、人と違うことをしなければ生き残ることはできないでしょう。
人と違うことをすれば、批判にさらされ、抵抗は大きく、排除されることさえあります。
ダンテは神曲の中でこう言っています。
「汝(なんじ)の道を行け、而(しか)して人の語るにまかせよ」
自分の独自の道を歩むこと。
お盆休みに、田舎で何人か若者に会いました。
とても真面目で、とげとげしくもなく、トラブルも起こしそうもない。
しかし、おとなし過ぎるような印象もありました。
一概には言えませんが、画一的な教育によって、その人が本来持っている個性や才能を抑えてしまった結果なのかもしれません。
普段家庭で、おとなしくしなさいと言われ続けている子供達は、たまに外に出かけると、爆発的に騒ぐことがあります。
それは、普段から抑制されているからです。
一見真面目そうに見える子が、とんでもない事件を起こす。
今のいじめ問題もそうです。
抑え付けられているからこそ生じたもの。
人と違うことは悪いことではないことを、我々大人が気づく必要があるようです。
人と違うことを恐れない生き方をするのもどうですか?
院長 野村