ひとの、心の中はみえないから
優しいときでも、叱ってみたり
悲しいときでも、笑ってみたり
怒りのときでも、褒めてみたり
何を信じていいのやら
ひとって、ほんとにわからない
「ごめんね」と、一言いえば済むことを
「ありがとう」と、一言いえば済むことを
どうして素直に言えないのだろ
本当は、
心の中にいっぱいの
優しさ、ほほ笑み溢れていても
伝えきれずに黙ってしまう
誰だって
自分だけは好かれたい
自分だけでは良い子でいたい
だけど
ひとに優しくできないのなら
ひとからそれを、貰えるはずがない
優しさは
だれの心にも隠れてる、見えないだけで
こころの風景「だれの心にも」 瀧下 むつ子
今日は、久しぶりに息子と2人きりで映画デートをしました。
子供に人気の映画とあって、朝一番で行ったにもかかわらず、チケット売り場には長蛇の列!!
並んでいるときに、私が咳をすると『ママ、大丈夫??』と声気にかけてくれ、
ポップコーンとジュース2つ持って移動する私に『重くない?持ってあげようか?』と声をかけてくれる息子。
帰りの車の中から、荷物をたくさん持って信号待ちをしている人を見て『持ってやらんといかんね~』
とつぶやく息子。
いつも、近くで成長を見ているはずなのに・・・
私が見ていたのは、彼のほんの一部分だったようです。
そして、彼は大きな優しさで私を包んでくれました。この優しさは見えなかったのではなく、私が見落としていたんだということにも気づきました。
優しさを教えたわけではないのに、自然と身についていくものなんですね。
そう考えてみると、私も幼いころから今まで『優しさというものはこうあるべきだ!!』なんて教えてもらったわけではありません。
たくさんの方からの優しさに触れ、感じ、考え、自然に自分の考える優しさが生まれてきたのではないかと思います。
もちろん、今でも「優しさって何??」と聞かれても明確な答えはないのですが・・・
自分がいくら優しい気持ちを持っていても思っているだけでは優しさじゃありません。
相手に伝わって初めて本当の『優しさ』になるのではないでしょうか。
素直な気持ちをどんどんぶつけてきてくれる子供たち。
優しさだけではなく、時には、カチンとくることも面と向かってぶつけてきますがそれをしっかり受け止める母親でありたいと改めて感じました。
今日、息子の優しさに触れた私の『優しさの器』はちょっとだけ大きくなったような気がします。
看護師 森