緊急事態宣言が出された先月の4月7日、母が90歳の誕生日を迎えました。
記念すべき誕生日だったので会いたかったのですが、コロナ禍の中、施設に入所しているため面会は許可されず、今回は、故郷の広島へ小さな蘭のお花を送りました。
母は、4年前まで広島県の過疎地で50年間縫製工場を営み、体力的な問題から仕事を辞めました。
それまで元気に車まで運転していた母は、人と会わなくなったためか、急激に認知症が進行していきました。
程なく兄の家に引き取られた後、母に会いに行くと「勝政。お母ちゃんはおかしいか?」としきりに聞いてきました。
その後、躁鬱傾向がみられ、精神科の閉鎖病棟に入院するまでに病状が悪化しましたが、米寿の祝いの時に会った母は、抗精神薬の影響もあり、2年前まで工場を切り盛りしていた人とは思えない程、衰えてしまっていました。
工場も、最盛期は40名ぐらいの社員はいたと思いますが、過疎化が進むにつれ、最後は70-80代の高齢者数名と仕事をしていました。
80歳の誕生日の時に「そろそろ仕事辞めてもいいんじゃない」と言ったことがありましたが、母は「田舎の年金暮らしの高齢者が、少しでもお金が入れば生活の足しになる。田舎で働く場所があることがどれだけ大切なことか。お母ちゃんがやっていることは社会貢献なんじゃけえ!」と、あっさりと一蹴されました。
思い返せば、母が肺炎で入院し、見舞いに駆け付けた時、枕の横にそろばんと帳簿が置いてあって、聞けば「給料日前だから計算せんといけん。何もせず寝てる場合じゃなかろうが!」と、母の責任感に感心した覚えがあります。
母は信仰心の強い人で、神道である我が家の神棚の前で、事あるごとに祈りを捧げていました。
母が実家を去ってから3年間、実家の神棚がそのままになっていたのですが、なかなか広島の実家に帰れない私は、どうしても神棚が気になっていたので、昨年の年末に清め払いを行っていただき、ご先祖様を宮崎にお連れすることにしました。
妻と二人、神棚がある部屋を掃除していると、神棚の下から大きな木箱があり、その中には、息子や孫のこと思う祈願書がたくさん出てきました。
私のことを書いた祈願書を読んだ時は、この場所に座って神様・ご先祖様に手を合わせていた母を思い出し、高校3年の時に亡くなった父、55歳にして突然亡くなった長男の兄の遺影を眺めながら、涙が止まりませんでした。
母はとても強い人で、私は愚痴を聞いたことがありません。
いつも何かあると、何をすべきかを常に考えていた人でした。
そんな人ですから、車の運転でも、バックミラーを見ることはなく、車が後ろに連なっていた時には「抜かしたかったら抜かせばいい。気にしていたら事故に合う」と言って、道を譲ることもしませんでした。(笑)
母の真っ直ぐな気持ちは常に前を向いていたからでしょう。
そんな母ともいつ会えるようになるのかわかりません。
今、私たちは、人と人との距離を保たなければならない社会にいます。
しかし、人の心は近くにいる必要があります。
これから先、来るべき大きな波に乗るためには、自分自身が身軽になっていなければ、溺れてしまいます。
本当に必要なもの。
遠くから眺めた “ 人・もの・お金・価値観 ” 心が動くものだけを選んでください。
今日、医療法人アクアブライトは1周年を迎えました。
“大地の恵みを生かし、多くの人の人生を光輝くものにする”
この理念を形にするときは、そう遠くはなさそうです。
院長 野村