栄養療法を始めて半年が経過しました。
最近は、病気にならない体づくりについて講演依頼をいただくことが多くなり、先日は、東京で栄養療法をされている全国の先生方の前で、循環器内科の立場から栄養の重要性を講演させていただきました。
日常診療でも、栄養療法を行うことで、動悸、めまいなどの改善が目覚ましく、特に高齢者の方の不整脈や心不全の病状が良くなっていく現状には、循環器専門医の私自身も正直驚いています。
そして当院には、少しでも薬を減らしたいと思っている私達の取り組みを知って、栄養療法の効果を知ったお母さんが、お子さんを連れてこられるようにもなりました。
この前は、落ち着きがないといって、いつも学校で注意されたり、周りから病的におかしいのではと言われることを気にされたお母さんが、小学校のお子さんを連れて来院されましたが、私にはその子がおかしいとは全く思えませんでした。
なぜ、その子が周りの子と違うことが問題なのでしょうか。
それは、多数(マジョリティー)が正しくて、少数(マイノリティー)が正しくないという社会の中に我々が生きているからなのでしょう。
確かに、現代の世の中で生きていく限り、結論を出すには多数決によることも必要と思われます。
しかし、人を評価する時、その原理は全く必要はないと私は思います。
自分を認めてもらうために同じ意見を求めることは人の欲求でもあるのですが、違った時には争いや否定に繋がってしまいます。
人は違って当たり前。
その想いを親は子に対してぜひ持ってほしいと思います。
ところで、阿蘇の外輪山中で静かに陶器づくりと農業を営む陶芸家の北川八郎さんのもとには、心身をともに悩みを抱えた方が多く訪れるそうです。
そんな北川さんのもとを訪れたある競輪選手が勝利から見放され、いかにして勝利を手繰り寄せるられるようになったのか。
今日は、そのお話から人と比べることの意味を考えてみたいと思います。
少し前に私のところに全国でも有名な競輪選手が来たんです。
その人は初めの頃レースの途中ですぐ落車するんですね。
なぜかと言うと、その人はずーっと勝ちたいと思っていて、競輪というのは勝ちにいくと人と競わないといけないから、隙を狙って相手を追い抜こうとする。
すると、すごく邪魔をされるそうなんです。
だから力はあるのにずーっと勝てないでいたし、落車すると骨折したり怪我をしてしまう。
大怪我をしたら競輪をやめないといけないから、私のところに相談にきたのです。
それで、勝ちを目指すのではなく、勝つことを棚上げして呼吸法を身につけて、
「きょう一日いい走りをしよう」
と決めて流れを見てごらんと。
それから彼は勝負に勝とうとするのではなくて、とにかく自分のベストを尽くして、その中で勢いの流れを見ることに努めました。
そのために瞑想と呼吸法を身に付けたら、ある時から勝てるようになったんですね。
前と何が違うかといったら、彼はレース中にすーっと流れの隙間が見えるようになった。
そしてその隙間に導かれるように自分が入り込めるようになって、気がついたらいつの間にかトップになっていると。
そして争ったり人を落とし込んで勝とうとしていた時は、みんなから嫌われていたそうなんですね。
しかし自然に勝てるようになった時には、競争心を捨ててベストを尽くし、勝負の最中でもただ自分のいいものを出そうとして勝っているから、「彼なら仕方ないね」と逆に皆に尊敬を受けるようになっていたと言います。
人間性がすごく高まったんですね。
己を捨てるってなかなか難しいんだけど、自分の中にある「勝ちたい」とか「儲けたい」「威張りたい」という心をどう除くか。
北川八郎氏(陶芸家) 『致知』2007年1月号 特集「心を養い生を養う」より
人と違うことは個性であり、人と比べて競争することは、自分を見失ってしまいます。
お互いを認め合い、お互いを高めあうための競争は、成長のために必要なことですが、勝った負けただけに固執した違いは、間違った成長になってしまうでしょう。
今日は、当院のスタッフの息子さんが甲子園に出場することになりました。
おそらくこれからもいろいろな意味で勝つことも負けることも経験するはずです。
そのすべてが人生を生きていく上で大切な経験だと思ってほしい。
人と違うこと、病気を患うこと。
すべては、自らを受け入れるために必要なことだと思って大切にしてほしいと思います。
院長 野村