民主党も新しい代表が決まり、今日は、新しい内閣が発足しました。
今の政治がどうのこうのということはないのですが、どんなことでも誰かが先頭に立ってやらなければならないことがあります。
みんなから推薦されてする人。自ら進んでする人。
どちらにしろ、自分にはできないことをしてくれる人には、感謝の気持ちを持つべきでしょう。
この数年間、1年ごとに総理大臣が変わっていく日本。
ネガティブキャンペーンで結論が出たのであれば、これからはポジティブキャンペーンでトップを支えていきたいものです。
今日は、何かの前に立つという気持ち。
そんな気持ちをコピーライターの糸井重里さんのお話で考えてみます。
何かしたいことがあったら、選挙ではありませんが、人に呼びかけなくてはなりません。
手伝ってくれ、一緒にやってくれ、とお願いするわけです。
一生、他の人のやり方を解説しているだけの素人批評家のままでいるならともかく、何か自分にやりたいことが見えたときには「立候補」する必要があるのですね。
自分から立候補しなければ、恥もかきにくいし、痛手も少なくてすみます。
けれど、それはあまりにも「相手まかせ」の受け身の生き方になってしまいます。
テレビを観て、「これ、ちがうんじゃない?」とツッコミを入れる受け手でいるのは、とても簡単だけれど、自分がテレビ番組をつくる立場に立ったらずいぶんタイヘンだと思うでしょう?
そうなんです。
テレビから流れてくるあらゆる番組や、壁に貼ってあるあらゆるポスターは、いわば立候補者で、そのひとつひとつが観る側に呼びかけているわけです。
また、団体競技の主将だったり、学校の行事のリーダーになったりして、集団を説得した経験のある人ならわかると思いますが、プレゼンテーションをする側はタイヘンです。
しかし、これからの時代は、大きさは別にして、あらゆる場面で立候補しないで生きていくことが、
困難になるのではないでしょうか。
どっちの道に行きたいのか、何がいやで何がしたいのか、何を美しいと感じ何をみにくいと思うのか、そういったことを自分なりに生きるための「軸」として持っていないと、他人とリンクしたり、他人の協力をえられたりができないでしょう。
『インターネット的』 糸井重里 PHP新書
実は、私は中学、高校と生徒会長でした。
出しゃばりと言えばそうなのかも知れませんが、何かをしようとする時、いろんな意見がでますよね。
じゃあ誰がするのってなった時に、言うだけ言って誰もしないなんておかしい。
誰かがまとめなきゃいけないなら、俺やるから、みんな協力してって。
こう言えば、なんとなくカッコいいように聞こえますが、いろいろありました。
仲のいい友達からも、「お前、生徒会長だからって調子乗るなよ」って。
自分が良かれと思ってしたこともそうでなかったり、誰かを傷つけたり。
でもやると決めた以上、責任を持ってやるしかない。
だから、政治家の気持ちも何となく分かるんです。
あんなに色々言われたら、普通は凹みますよ。
例えば、スポーツ。
見ている人は気楽ですよね。
誰もが、批評家となり、監督となります。
でも、いざ実際に自分がその場に立ったら、何もできないのに。
セオドア・ルーズベルト大統領は、「ボクシングを見ている奴はいろいろなことを言うが、リングで戦っている奴を褒めろ」と言っていました。
なんでもそうですが、人の前にでるということは、自らの主義や主張を明らかにしなければならないわけです。
お店なり、作品なり、商品なり、具体的な何かを発表すれば、それがどんなにすぐれたものであろうと、批判する人はいます。
私もその一人なのですが、だからといって、長い人生、すべてを観客や、傍観者として生きることはできません。
みなさんもそうです。いつか、前にでなければならない時が必ず来ます。
それは、独立するとか、事業を興すとかそんな大きな話ではなくて、自分自身の意見や考えを鮮明にしなければならないことが必要だということ。
年の瀬のこの時期、来年に向けていろいろと反省することもあると思いますが、自分自身のことも、周りのことも、前向きに考えてみませんか。
そうすれば、あなた自身の “政治”も、きっと良くなるはずです。
院長 野村