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握れない手に届くジャンプ

2014年01月27日

来月2月7日に開幕するソチ五輪。

今回、日本選手団の主将を務めるのはスキージャンプの葛西紀明さん。

 葛西さんは、先日オーストリアで行われたノルディックスキーのワールドカップで優勝し、ワールドカップ史上最年長優勝記録を塗り替えました。

 

そして、7回目のオリンピック!

 

私より2つ下の41歳ですが、年齢を感じさせないその驚異的な強さはどこから来るのでしょうか?

 

TVの画面から伺える明るい純粋な表情からは、本当にジャンプが好きだからなのかなとしか思えないのですが、やはり彼には絶対に金メダルを取らなければいけない強い想いがあるようです。

 




自分を支えてくれる人たちの存在が大きかったですね。

 

 

実は、94年のリレハンメル五輪の前年に、妹が再生不良性貧血という重病にかかりましてね。

 

辛い治療を何度も受けたり、ドナー探しで大変だったんです。

 

妹のためにもぜひ金を取りたいと思っていたんですが銀に終わってしまった。

でも、妹は病気をおして千歳空港まで迎えに来てくれましてね。

 

誰にも触らせずにおいたメダルを、1番に触らせてあげたんです。

元気になってくれ、という気持ちを込めましてね。

「ありがとう。次は金だよ」って逆に励まされました。

 

病気の妹に比べれば、自分は何も辛いことはない。

 

そんな妹を支えに、98年の長野五輪へ向けて気持ちを奮い立たせました。

 

ところが94年の11月、ある大会で転倒して鎖骨を折り、しばらく跳べない状態が続いたんです。

 

翌年の5月頃、ようやく完治して、私はブランクを埋めるためにそれまで以上に猛練習に励みました。

 

通常なら300本跳べば十分といわれる夏に、900本跳んで再起を賭けたんです。

 

しかし、それが逆に災いして、その冬のシーズンで今度は着地の時に足を骨折してしまったんです。

 

普通に着地したんですが、その途端にコリッと。

 

練習のし過ぎで、腰や股関節に負担をかけ過ぎたのが原因でした。

 

それから1年半くらい記録と遠ざかっていたんですが、そんな折に実家が放火に遭いましてね。

 

母が全身火傷で病院に担ぎ込まれたのです。

 

なんとか一命は取り留めたんですが、火傷は全身の70%にも及んでいて、炎の熱で肺も気管も焼けていました。

 

何度も皮膚移植を繰り返したんですが、結局97年の5月に亡くなりました。

 

後から入院中に母の書いた日記が出てきましてね。

 

それを開くといまでもポロポロと涙が出てくるんです。

 

ああ、辛かったんだろうなあって…。

 

貧乏と闘いながら必死で働いて僕たちを育て、ジャンプまでやらせてくれた母には、いくら感謝をしてもし足りません。

 

金メダルを取って家を建ててあげる約束を果たせなかったのが、本当に残念で……。

 

入院中の母は、もう手も握れないくらいひどい状態でした。

 

痛みは絶えず襲ってくるし、死の恐怖と必死に闘っていた。

 

そんな中で、不調な僕を気に掛けて、励ましの手紙を送ってくれたんです。




「いまこの時を頑張れ。絶対におまえは世界一になれる。お前がどん底から這い上がってくるのを楽しみに待っているよ。」と。

 


 

いまでも大事な大会の前にはこの手紙を読み返します。

 

見るたびにものすごく大きな力をもらえるんです。

 

                            

                                                    葛西紀明 『致知』2005年8月号 特集「彊めて息まず」より

 

 

 

 

 

今日外来で、いつも娘さんと一緒に来られる患者さんに禁煙を勧めました。

 

このままだと徐々に病状が悪化することは目に見えています。

 

大切な娘さんのためにも、お父さんは健康であるべきです。

 

 

ひとは自分のためではなく、誰かのためなら計り知れない力を出すことができます。

 

 

 

自分の健康は、自分のためではなく、大切な人のため。

 

 

 

今日も帰って娘の寝顔を見ると、また明日も頑張れそうです。

 

 

しかし、奥さんの寝顔はというと…

 

 

                                       院長 野村

 

 


 

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