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心が見る色は、何色?

2012年03月08日

下の娘が、「もうすぐ参観日だから、がんばったことを発表するんだ」と、張り切っていました。

 

母親が来ることをすごく楽しみにしているようでした。

 

そんな姿を見ると、自分の参観日のことを思い出し、母親に申し訳なく思う気持ちがあります。

 

私は、父が42歳、母が40歳の時に生まれました。

 

以前にもお伝えしましたが、私が生まれたは“アクシデント”のようです。(真相は怖くて聞けていません)

 

なので、小学校の参観日は、母親は50歳に近いわけです。

 

お母さんが20代前半の時に生まれた同級生もいるので、私の母親はおばあちゃんのように見えて、正直恥ずかしくてなんだか嫌でした。

 

そんなことを思っていたので、参観日があるとわかると、「来なくていいから」なんて言ったりしたこともありました。

 

母は、「長男は、派手にして来るな。普通の格好で来いと言う。次男は、化粧バッチリにして綺麗にして来いと言う。お前は、来るなと言う。3人とも違うことを言うから困る」と、笑っていました。

 

 

今思えば、ひどい息子だったと思います。

 

 

そんな私とは対照的に、親に対する気持ちを、小学生ながらに素直に伝え、自分の環境を変えることができたお話を、今日はご紹介したいと思います。

 

 

 


 

 

小学生の時、僕はイジメられていた。

 

無視されたり叩かれたり・・・死にたいとは思わなかったけど学校に行くのはとても辛かった。

 

イジメをするのは一部のクラスメートだけだったけど他の子たちは自分もイジメられるのが怖くて、誰も助けてはくれなった。

 

ある日授業で「自分のお父さん」の事について作文を書く授業があった。

 

先生はなんでもいいんだよ。

 

遊びにいった事とかお父さんの仕事の事とかでいいと言っていた。

 

けど僕はなかなか書く事ができなかった。

 

クラスの子達はみんな楽しそうに書いている中、僕一人教室のなかでひとりぼっちだった。

 

結果から言うと作文は書いた。

 

書いたのだが「自分のお父さん」というテーマとは違う事を書いた。

 

あとで先生に怒られるかも・・・またこれがきっかけでイジメられるのかなと子供心にとても不安だった。

 

でもそれしか書けなかった。

 

作文は授業の終わりと同時に集められ先生は「じゃあ来週発表会をします。」と言った。

 

先生はそのまま教室を後にした。

 

その後は頭を叩かれてイジメられているふだんの僕がいた。

 

「じゃあ今日は発表会をしてもらいます。」

 

今日は作文の発表会の日。

 

先生が選んだ中から順に書いた本人に読んでいってもらいますと先生は言った。

 

「僕のお父さんは・・・」

 

「私のパパはよくおならをします。」

 

クラスの子たちのおもしろい文章にみんな笑ったり、お父さんの仕事に驚いたりしていた。

 

でも僕は全然聞いていなかった。

 

ただひたすら「僕の作文は選らばませんように」ただ祈って下を向いているだけだった。

 

発表会は順調に進みあと10分で授業も終わるところまで来ていた。

 

僕は少し安心していたのだがその期待は無駄だった。

 

「じゃあ最後に〇〇君に読んでもらいます」

 

頭の中は真っ白だった。

 

「あの、先生・・・僕はお父さんの事書いてないです。」

 

クラス中から非難の声が上がった。

 

バカじゃねえの?廊下に立ってろよオマエ

 

様々な声が飛び交ったが非難の意見はみんな一緒だった。

 

もうどこにも逃げられなかった。

 

「静かにしなさいっ!」

 

突然の大声に教室は静まり返った。

 

「先生はどうしても読んでもらいたいの。だからみんな聞いてください」

 

「さあ読んでください」

 

「ぼくのお父さん」

 

「僕のお父さんはいません。幼稚園の時に車にはねられて死んだからです。だからお父さんと遊んだのもどこかへ行った事もあまりありません。それにお父さんの事もあまりおぼえていないです。写真があるのでみましたがおぼえていないです。だからおばあちゃんとお母さんのことをかきます。お母さんは昼間しごとにいってお父さんののかわりに働いています。朝はやくから夜おそくまでいつも働いています。いつもつかれたといってますが甘いおかしやたいやきを買ってきてくれるのでとてもだいすきです。おばあちゃんはげんきで通学路のとちゅうまでいつもいっしょに歩いてきてくれます。ごはんはみんなおばあちゃんが作ってくれてとてもおいしいです。お母さんが働いているので父兄参観の時にはおばあちゃんが来てくれます。みんなはおまえの母ちゃんババァなんだとからかってくるのではずかしったけど、でもとてもやさしいいいおばあちゃんです。だからお父さんがいなくても僕はあまりさびしくありません。お母さんとおばあちゃんがいてくれるからです。お母さんはお父さんがいなくてゴメンねと言ったりするので、早く僕が大人になって仕事をしてうちの家族のお父さん代わりになってお母さんとおばあちゃんの生活を楽にしてあげたいと思います。だからおばあちゃんには長生きしてねといつもいっていて、お母さんにはいつも肩をもんであげています。二人とも泣いたりするのですこしこまるけど、そんなお母さんとおばあちゃんが僕は大好きです。」

 

一気に僕はしゃべった。

 

先生には死んだお父さんのことを書けばいいのにと言われると思ったし、クラスの子達からはおまえお父さんがいないのか?もしかして捨て子だったんじゃねえか?とまたイジメられるのかなと思ったりしていた。

 

顔をあげる事もできなかった僕は救いを求めるように先生の顔を見てみた。

 

先生は立ったまま泣いていた・・・

 

先生だけではなかった。

 

他の子たちもみんな泣いていた。

 

僕が始めて好きになった初恋の子は机にうずくまって泣いていた。

 

イジメていた子たちもみんな泣いていた。

 

でも僕にはなぜみんな泣いているのか分からずにいた。

 

どうして?

 

お父さんがいないからお母さんとおばあちゃんの事を仕方なく書いたのに。

 

どうしてみんな泣いているのだろう?

 

「〇〇君・・・」

 

「はい・・・」

 

「先生は人の心が分からないダメな先生でした。ゴメンなさい。世の中には親御さんのいない子もいるのにね。そういう子たちの事も頭になくてお父さんの事を書いてだなんて、あなたの事も知らなかったとはいえ本当にごめんなさいっ!」

 

先生は顔を覆ったまま泣き崩れていた。

 

それがその日起こった出来事だった。

 

次の日からなぜかイジメられなくなった。

 

相変わらず口悪くからかったりはされたけど殴られる事はなくイジメのリーダー格の子に遊びに連れていってもらえるようになった。

 

先生はその後の家庭訪問でその日の出来事をおばあちゃんに話して謝っていた。

 

作文の事は僕は話もしていなかったので少し怒られたけど話を聞いた母も、今は亡くなったばあちゃんもうれし泣きみたいなくちゃくちゃの顔で叱ってくれた。

 

僕も立派な、人に誇れるような仕事はしていないけど、家族のおかげで一人前の大人の男にはなれたとは思う。

 

 

                                 「魂が震える話」より

 

 

 

今だったら、「82歳ですけど、こんなに元気な母です」とみなさんにご紹介したい気持ちです。

 

 

子供のころは、周りばかり気にして、物事の良し悪しを決めていたのでしょう。

 

 

世の中、比べることを止めれば、とっても楽になれます。

 

 

もし比べるのであれば、自分に必要なものか、大切な人なのかどうか、自分にしっかり聞いてみたほうがいいかもしれません。

 

実は、比べているのは、自分だけだったりしていることが多いので。

 

 

でも、ひとのスコアは気になりますね・・・

 

                              

 

                                      院長 野村

 

 

 

 

 

 

 

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