みなさん、大変御無沙汰しておりました。
1ヶ月以上もブログを更新しておらず、お叱りの声もいただいていたのですが、ブログが書けなかった理由はいろいろありました。
この梅雨の真っただ中に車も処分してしまったので、不便さも重なり、からだも疲れてくると精神的にも不安定となり、こころも病んでいた?かもしれません。
また昨年から講師をさせていただいている看護学校の授業が4月から先週まであり、自分でも復習のつもりで講義を作っていたので、医学の基本的な部分ではあるのですが、慣れない勉強疲れもあったようです。
ところで、講義をしているといろいろ気づくことがあります。
おもしろいのは、勉強する生徒、しない生徒の違い。
当然、授業がおもしろくないと勉強もしたくないでしょうから、あれやこれやと工夫もしましたが、なんとなく雰囲気で判ります。
やっぱりその違いは “ 眼 ” です。
興味津々の楽しそうな眼で授業を聞いている生徒とはなぜか目が合います。
そういった生徒は成績は悪くても判ろうとして勉強しています。
成績はいいのかもしれませんが、自分はそのくらいわかっているよという生徒の眼は、なにか冷たいですね。
つまらないからかやる気のない眼の生徒は、こちらにも伝わるものがないため、当然ながら目が合いません。
よく物事を学ぶ時に、わかっていても素直にやることが大切といいますが、この意味をわかっているかどうかが実は人生を大きく変えてしまうようです。
今日は物事を学ぶ姿勢について、海洋冒険家であり、世界最年少ヨット単独無寄港世界一周も三度も経験している白石 康次郎さんから学んでみたいと思います。
みんなもこれから、何か習うとか、社会人になって初めて仕事をさせてもらうとか、そんなことがあると思うんだけど、物事をおぼえる時には「順序」があるんだよね。
「会得・習得・体得」なんです。
「会得」の「会う」は「見る」こと、「習得」は習う、「体得」には「体」の文字が入っていますね。
少林寺拳法では「守・破・離」とも言います。
守って、破壊して、離れる です。
まず「会得」ですが、「会って、見る」ってことですね。
まず見る。
要するに、先輩のやっていることを正確にコピーします。
いいも悪いもない。
そんな時には、「何で僕がやらなきゃいけないんだ」とか余計なことは考えない。
まず、まねる。
まねるって簡単に言うけどね、「真に似る」って書くんだよ。
これができないね。
僕も居合(いあい)を10年やっているんだけど、ただ刀を鞘(さや)から抜くだけでも、先生と同じようにできない。
未だに先生のまねすらできない。
10年やっても「まね」って難しいんだよ。正確に真似るのは。
次に、真似ることができると、今度は習うことができる。
「習得」
「これは、こういうことだよ」と、わかるようになる。
で、習うことがだんだんできるようになってくると、「体得」…自分のものになってくる。
自分で縦横無尽に動かすことができるようになってくる。
で、最後は今まで会得したこと、習得したこと、体得したことを全部忘れるんです。
捨ててしまう。
そこから解き放たれて、自分のオリジナリティーを作るんですね。
こういう順序があるんですよ。
でね、もしも先生が2人いて、真逆のことを言われたらどうするかなんだけど一番やっちゃいけないのが「でも、あっちの先生はこう言いました」って言っちゃうことですよね。
その先生の前では、その先生の言う通りにやるんです。
絶対に引きずらない。
目の前の人に言われたとおりに一生懸命にやる。
たとえ、真逆のことを言われても。
そうすることによって、こっちの先生からも、あっちの先生からも学べる。
ところがね、言っちゃうでしょう。
「だって、あの先輩、こう言いました」「前の会社ではこうでした」なんて言ってしまうと、どの人のところに行ったって、何も学べてない。
ひとつも学べていない。
だから、「素直」でなきゃダメなんだよ。
素直でなきゃ、何も学べない。
そのためには、まずは言われたとおり
「ハイ!」ってやればいいんですよ。
何か注意された時にも、すぐに「だって…」と言い訳をする人がいるけど、まずは「ハイ! すみませんでした」って謝ればいいんですよ。
謝ることに集中する。
で、もしも「これはどういうことなんだ?」と聞かれたらその時に初めて「これはこういうことなんです」と説明すればいいんですよ。
こういうことが大切なんですよ。
物事を習う時にはね。
(白石康次郎さん、ウエジョビの学生への講演 2012.11.22 より引用)
実はこの内容と同じことを、私は以前勤務していた上司から言われたんです。
「まずは俺のやるようにやれ。同じようにできるようになったら、自分を出していい。そうでなければお前は伸びない」って。
白石さんの話も聞いて、今になって自分はいい経験させてもらっていたんだなあって思います。
世の中、学校でも先生から何か指示されることあれば、社会人になってからも最初はずっと、先輩や上司から指示されることばかりじゃないですか。
でも、それをやりもせずに「あぁでもない、こうでもない」と言っている人は、伸びないですね。
まずは、真似ることからスタートする。
しかし、こういう私も、知ったかぶりの人生を歩んできました。
ちょっとできたからって調子に乗って、そのあと全然勉強しない。
それがカッコよく見えたのかもしれませんが、今思えば、むちゃくちゃカッコ悪かったと思います。
だから今苦労しています!
その時にもしも、教えてくれた人に対して一生懸命に「ハイ! わかりました!」と言っていたら…
「あぁでもない、こうでもない」と言っていたら何にも学べません。
まずはやってみる。
なんでも「ハイ! やります!」って動く人っていうのは、周りからどんどん応援されますし、上司や先輩から見ても、可愛がられます。
そんな人には、教えてあげたくなるんですよ。
やっぱり素直な気持ちが大切。
それから、白石さん、こんなことも言っておられました。
なぜ先生や上司が厳しい事を言うかってことですが、厳しいからって、愛情がないわけじゃないんだよ。
優しいからって、愛情があるんですか?
みんながいずれ出て行く社会は厳しいんですよ。
僕だって、ヨットで世界一周をしましたけど、海の世界は、もっと厳しいんですよ。
人間が作ったものじゃないんだから。
だからよく言われますよ。
「大変でしょ」って。
大丈夫ですよ。
楽なこと、しに行ってるんじゃないから。
勉強だってそうですよね。
君たち、ここ学校に、何をしに来てるの?
楽をしに来てるわけじゃないでしょ。
辛くて当然ですよ。
僕もよく少林寺で相手と殴りあったりするんだけど、「痛い」って言う人がいるんだよね。
当り前でしょ。
痛い事しに来てるんだから。
僕は水産高校で、本当に厳しく教えられたからそれにすごく感謝してるの。
でも、最近は、厳しく教えてくれるところがないよね。
だから、そう言う意味では君たち、本当にかわいそうだね。
なんで厳しく教えなきゃいけないかと言うと厳しいからなんですね。
君たちがこれから生涯にわたって順風満帆でいることはないです。
苦しい事もあるでしょう。
辛い事もあるでしょう。
泣きたくなるようなこともあるでしょう。
人から悪口言われることもあるでしょう。
予期せぬ出来事もあるでしょう。
あるんだよ。
それを君たちは乗り越えなくちゃいけないの。
津波が来ました。
堤防の高さの問題ですか?
違う。逃げなかったから。
なぜその人が逃げなかったかが問題。
東日本大震災で津波が来て、全員助かった小学校がありました。
なんで助かったと思う?
いつも逃げてたんです。
その時だけ逃げたんじゃないんです。
ここに注目してほしいんです。
1年前も、大津波警報が出ました。
その前にも出たことがあります。
で、結果どうだったかというと、ちょぼちょぼだったんです。
津波は来なかった。でも、この小学校の子供たちはその時もみんな逃げていたんですね。
その先生言ってました。
「いつも我々逃げています。でも、いつも誰も来ていなかったです」
だからその学校は、この間の大震災の時も、いつものように逃げたんです。
だから助かったんですよ。
いつも逃げていたからこそ、助かったんです。
有事の際に、練習以上のことはできないよ。
試合だってそうでしょ。
緊張して、普段の力、だせないでしょ。
練習以上のこと、普段以上のことはできないんですよ。
君たちは今、訓練の最中にあるのね。
いろんなこと教わって、将来直面するであろういろんな出来事を乗り越えていかなきゃいけないの。
そのための勉強なんだね。
そりゃ苦しいよ。
苦しい事をしに来ているんだから。
それでいいんですよ。
厳しさからでないと学べないんですよ。
海の上で、死と隣り合わせの世界を味わってきている人が、こんなことを言うわけです。
かっこいいですよね。
有事の際に、練習以上のことはできない。
本番の時に、普段以上のことはできない。
だから、普段が大切。
最近疲れていたのは、いつか良くなるだろうって普段を大切にしていなかったからかもしれません。
ブログを書きながら、ちょっとやる気がでてきました!
このブログで繋がっている方々も大勢いるので、いろいろ言い訳せず続けようと思います。
“ 今を大切に ”
院長 野村