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屋根の上にあるビジョン

2012年07月06日

昨日は、看護学校の最後の授業でした。

 

私にとっては今回が初めてだったので、2か月間、毎週資料作りに奮闘しました。

 

というのも、全く医学を知らない1年生に、どうやって楽しくわかるようにできるだろうか考えると、気合が入りました。

 

最後は、初めての生徒達だったので、看護師を目指した初心を思い出し、大変な試験勉強に臨んでほしいという気持ちから、自分が医師になろうと決めた時のエピソードを語って終わりました。

 

この話になると、私自身も母親の偉大さを改めて感じるのですが、大学に受かるまでのあの “大ピンチ” の日々は、母親の支えなしでは絶対に乗り越えられなかったですね。

 

 

 

ということで、今日は、“ピンチ”について、宅配ピザ「ピザーラ」の社長、浅野秀則さんのお話です。

 

 

 

浅野さんは大金持ちの御曹司(おんぞうし)に生まれ、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)の人生だったというが、それは高校二年まで。

 

父親が突然、脳血栓で倒れ、意識が戻ったものの言語障害が残り、社長の座を追われてしまう。

 

浅野さんも小づかいにも不自由するようになり、いろんなアルバイトに手を出すようになった。

 

その後、若くしてクラブハウスの経営に乗り出した。


ところが、このクラブハウスが火事を出し、大やけどを負ってしまう。

 

300針も縫う大手術をし、リハビリを含め、社会復帰までに一年を要したという。


突然、大赤字も背負い込んだ。

 

浅野さんの母上からすれば、夫は倒れ、息子は大けが、そして大赤字。


どん底である。

 

だが、このとき母上は、なんと「あなたはラッキーね」と言ったのだそうだ。

 

「人間が一回失敗して、そこからまた立ち上がるところを体験できるじゃない」


というのが、その理由だった。

 

父親が倒れて状況が一変、これではダメだと思い、住んでいたマンションの屋上で、毎朝、


「オレはラッキーだ。やるぞぉ!」


と声を張り上げて叫んだという。

 

今は経営者として成功した浅野さんだが、失敗するたびに「ラッキー」と考えてきた。

 

失敗したからこそ、次には、「どうすれば失敗しないか」と成功へのビジョンをより正確に描くことができるようになるからだ。

 

 

                  『続・いい言葉は、いい人生をつくる』斉藤茂太・成美文庫


 

 

ピンチの時、男性は男に励まされるより、女性に励まされた方が頑張りますよね。

 

それだけ女性の力は偉大なのかもしれません。

 

その中でも、特に母親の言葉は、子供を奮い立たせ、勇気付け、夢を与えてくれる。

 

 

ブログで何度も登場する私の母親も、やっぱりすごい人です。

 

82歳ですが、まだ田舎町で工場を経営しています。

 

もうやめればという言葉に対して、

 

「田舎で働く場所があるということはどれだけありがたいことか。従業員は年寄りばかりで、給料は少ないが、田舎でご飯を食べていくことができる。社会貢献を考えると、田舎で雇用を生み出すということは大切なことだから、そう簡単には止めれない。お母ちゃんは倒れるまで働く!」

 

ようやく母親と同じ経営者になって、今さらに、母親が物事を投げ出したことがないことに気付きました。

 

50年近く工場を経営してきて、何度も “ピンチ” はあったと思いますが、それを息子に気付かせなかった母親だったわけです。

 

今でも「どうして病院の屋根に看板がないのか?」と、病院経営についてお叱りをいただくのですが、まだまだ母親を納得するまでに至っていないからなのでしょうか。

 

母親のように社会貢献を意識できるまでの存在価値がないと、いつまでたっても子供扱いです。

 

今年のお盆に会うときには、また何か指導を受けるような気がします。

 

 

ちなみに、看板は下につけましたので許してください…。

 

 

                                     院長 野村

 

 

 

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