「どちらさまですか?」
と自分の姉妹に問いかける叔母は認知症です。
叔母と言っても、祖父の姉妹なので高齢です。
叔母は、独身なので私たちのことをとてもよくかわいがってくれました。
穏やかな性格で、暖かい笑顔が印象的です。
叔母が認知症と診断されてから数年が経ちます。
今は、ほとんどしゃべることもなく1日寝たきりの状態です。
私の祖母や、お世話をしているもう一人の叔母は介護の大変さを感じ、悲しさ、せつなさ、気持ちが伝わらないもどかしさが混同しているようです。
認知症になって過去のことを忘れたり、目の前にいる身内のことがわからなくなってしまっても、一瞬でも相手を思う気持ちは変わってないのではないかと私は思います。
ここで、心温まるお話を紹介したいと思います。
僕のおじいちゃんは、頭も賢く、運動神経も抜群で、小さい頃はよく勉強やスポーツなど、色々とおじいちゃんに教えてもらっていた。
しかし、今はおじいちゃんに勉強を教えてもらっていない。
正確に言えば、教えてもらうことができなくなってしまった・・・
僕が高校2年になった頃、おじいちゃんは認知症になってしまったのだ。
今では、僕のことも、実の娘の僕の母親のことも分からなくなってしまって、いつも僕たちに
「はじめまして」とあいさつをしてくる。
ここ最近になって、おばあちゃんのことも分からなくなってしまった。
しかし、おばあちゃんは毎日笑顔で懸命におじいちゃんの世話をしていた。
家族みんなで集まって家でご飯を食べようとなり、久々に家族全員で集まることになった。
家族の誰一人わからなくなってしまって、とても緊張をしているおじいちゃんに、おばあちゃんが笑顔で家族みんなの紹介をしていった。
すると、いきなりおじいちゃんは真剣な顔をしておばあちゃんに話し出した。
「あなたは本当に素晴らしいお方だ。いつも素敵な笑顔で僕に笑いかけてくれる・・・あなたが笑ってくれたら僕はとても幸せな気持ちになれます。もし、独り身なら僕と結婚してくれませんか?」
家族全員の前でのプロポーズだった。
2回目のプロポーズに、涙をぽろぽろこぼしながら、おばあちゃんは笑顔で「はい」と答えた。
「魂が震える話」より
わからなくなってしまっても、忘れてしまっても人が人を想う気持ちは変わらないものです。
自分がいて、相手がいて想いあう気持ちがあるからこそ、そこに愛情が生まれる。
それが一瞬だとしても、その一瞬が一生の宝物になるのではないでしょうか。
人間、みんな年をとります。
病気になったり、叔母のように認知症になったり、足腰が弱り人の手助けが必要になったりするかもしれません。
しかし、そこから自分が気づくこと、周りが気づくことはたくさんあります。
叔母が認知症になったことで私たち家族はいろいろなことを考えさせられました。
いいことばかりではありませんが、何か障害にぶつかったときにみんなで助け合えるような家族の絆が生まれました。
これは、叔母が身を挺して私たちに教えてくれたことです。
年老いていくことをよく「老化」と言いますが、私は「老美」だと思います。
人生模様は様々で、はたから見れば厄介だなと思われるような人生を送ってきた方もいらっしゃるかもしれません。
でも、その人が一生懸命に生き、今という場所にたどり着いた人生はどれも美しいものではないでしょうか。
叔母が私の結婚式に出席してくれたときはすでに認知症の症状が出ていたそうです。
私のことが誰だか分らなかったかもしれません。
自分がどうして披露宴会場にいるのかもわからなかったかもしれません。
しかし、私の目の前に来て、満面の笑みで「おめでとうございます」と言ってくれました。
叔母にとって忘れてしまった過去かもしれませんが、私にとっては大切な思い出の一つです。
一つ一つ忘れていく叔母ですが、周りの人の心には一つ一つ刻み込まれ、思い出となっていきます。
やがて、その思い出がみんなの笑顔の種になるでしょう。
大事な人を大事に想う気持ちを大切に、笑顔あふれる人生を送ることができるように。
人生の先輩である叔母が教えてくれたことを大切にしていきたいと思います。
看護師 森