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差し伸べた手に伝わる足音

2012年03月11日

「必ず未来は変えられると信じている」

 

ドラマ  “運命の人”  本木雅弘演じる主人公 弓成亮太が言った言葉です。

 

真実を伝えるために真正面から向かっていった弓成亮太。

 

しかし世の中は、それを受け止めようとしない。

 

けれど、彼の生き方に共感した人たちが支え、共に戦おうとしている。

 

それは、真実は必ず伝わるという想いがあるからです。

 

たかがドラマですが、私はこういうメッセージ力のあるドラマや映画に自分の未来を照らし合わせてしまいます。

 

 

私は15年間医療に携わりながら、病気をしても良くなる人がなんとなく分かるようになってきました。

 

 

みなさん、ウィルマ・グロディーン・ルドルフさんをご存知でしょうか?

 

ウィルマ・グロディーン・ルドルフさんは、アメリカ・テネシー州出身の黒人女子陸上競技選手。

 

ニックネームは「黒い真珠」。


1960年、ローマオリンピックで、アメリカのウィルマ・ルドルフという黒人女性選手が百メートル走、二百メートル走、そして四百メートル・リレーと三つの金メダルを獲得しました。 

 

これはアメリカ人女性としては、史上初の快挙。


ウィルマはリレーで優勝した瞬間、思わず泣き崩れてしまいました。


彼女の胸のなかは、母親への感謝でいっぱいだったのです。


スラム街の貧しい家庭で22人兄弟の20番目、体重2kgの未熟児で生まれ、4歳の時に猩紅熱と肺炎の合併症にかかり、左足の小児麻痺で歩けなくなりました。
 
ウィルマは母に抱かれ、貧しい黒人も診てくれる80km先の病院まで毎週2回通い、医師の教えで母と兄弟は足のマッサージを続けました。

 

8歳で補助具を付けてなんとか歩けるまでに回復し、その後、矯正靴をはいて兄弟と毎日バスケットボールをして遊び、12歳でついに完治。
 
スポーツ選手になることを決意し、中学ではバスケットボールで活躍。高校でも得点の州記録を作るなどの活躍で、チームを州のチャンピオンに導きました。

 

テネシー州立大学の陸上コーチに見出されてキャンプに参加。

 

16歳で1956年のメルボルンオリンピックに出場し、4×100mリレーで銅メダルを獲得。

 

これにより州立大の奨学金も許可されました。
 
全米選手権で200mの世界記録22秒9を作り、1960年のローマオリンピックに出場。

 

100mの準決勝で世界タイ記録の11秒3を作り、決勝では11秒0(追い風参考)で優勝。

 

200mでも優勝。

 

4×100mではアンカーを務め準決勝で世界記録44秒4を作り、決勝は足首を痛めながらも金メダルを獲得。

 

黒人女性としては史上初の短距離3種目制覇を達成し、翌年には100mの世界新記録11秒2を作りました。
 
1962年に22歳で引退し、教師、陸上のコーチ、スポーツコメンテーターなどを務め、後に子供たちのためのウィルマ・ルドルフ基金を設立。


52歳の短い人生でしたが、アメリカの女性スポーツ財団は、毎年、困難な状況にも負けず素晴らしい功績をおさめ、他の女性アスリートたちの模範として活躍している女性アスリートにウィルマ・ルドルフ・カレッジ賞を授与しています。

 

 

「強い人が勝つとは限らない。すばらしい人が勝つとも限らない。私はできる、と考えている人が結局は勝つのだ」

 

 

これは、ナポレオン・ヒル(アメリカの哲学・教育家)の言葉です。

 

彼は成功哲学の祖とも言われ、著書『思考は現実化する』は全世界で3千万部を売上げ、ベストセラーとなりました。


ナポレオン・ヒルの言葉を、そのまま当てはめたかのような彼女の人生。

 

「私は小児マヒを患ったことがある、走るなんてとんでもない」という思考が、ほんのひとかけらでもあれば、彼女の快挙はなかったでしょう。

 

それ以上に、彼女を支える人たちがいなければ、彼女は頑張ることもできなかったはずです。

 

 

 

真摯な前向きな人生を歩み努力を重ねる人には、支援の手が必ず差し伸べられる。

 

 

 

今日は、日本にとって大切な日。

 

 

 

多くの人の夢や希望を実現するためにも “諦めない”

 

 

日本という国がそういう国であってほしい。

 

 

それを創るのは我々です。

 

                                     院長 野村

 

 

 

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