昨日は、“認知症セミナー”
40名の参加者をいただき、異様な盛り上がりでした。
初めてお会いする方と徐々に打ち解け合い、お互いを励ましあう姿。
みなさん、前向きに生きていこうと一つのきっかけになったようです。
今日は、“速読セミナー”
本を読むということ。
それは何を目的にしているのでしょうか。
そこから得られたものを役立てたい。
ひとに伝えることができて、はじめて自分のものとなる。
今回の2つのセミナーに共通することは、そこには、“ひとが存在し感動する”ということ。
ひとは誰かに喜んでもらえなければ生きていけません。
元気に長生きすることも、家族や友人、周りの人に喜んでもらえるから。
本を読むことも、たくさんの知識を持つことで、誰かに喜んでもらえるから。
私たちは、ひとりでは生きていけません。
今日は、そんな気持ちを改めて感じるお話をご紹介します。
2007年に大分代表として甲子園に初出場した楊志館高校の話です。
この年、楊志館高校は開星を破り見事にベスト8に進出しました。
この楊志館高校の活躍の陰には、『あっこ』とナインのみんなに呼ばれている女子マネージャーの存在がありました。
2006年に楊志館高校に入学し、甲子園目指して練習する選手たちに感動したあっこはマネージャーになりました。
「趣味は体を動かすことです」。新人マネージャーのあっこが自己紹介。
キャッチボールのフォームがきれいだった。
「野球、しよったん?」
「中学んときソフトしよったんよ。うまいやろ」
自分の服が汚れるのも気にせずに選手のユニフォームの洗濯や掃除に励み、練習の合間には選手たちとキャッチボールをしたりと、とても明るくてよく笑う活発な子だった。
バッティングが苦手な同級生がいれば、トス役を買って出て、要求した高さにうまく投げ分け、「今のは肩が開いちょったよ」と的確なアドバイスもしてくれた。
しかし、2007年の5月。あっこは首に違和感を感じて病院に行きました。
診察結果はがんだった。
のどの上あたりで見つかった腫瘍(しゅよう)はすでに末期の大きさだった。
みんなは、「のどが痛い」と言っていたので風邪かなと思っていたけれど、数日後のミーティングで、あっこは部員の前で切り出した。
「私、がんが見つかったんよ。これから入院する」
夏の県大会を控えた選手のみんなに心配はさせたくないと、『入院中は絶対に選手のみんなと会わない』 と決め、グラウンドに戻る日を信じて5か月に及ぶ辛い抗がん剤治療に耐え抜いた。
あっこが入院中に選手のみんなにと画用紙に描いた
『ありがとう』
そんなあっこに毎試合終わるたびにウイニングボールをあっこへ送り届ける選手達。
甲子園出場が決まる県大会の決勝戦は、会場にいた先生が携帯電話で実況中継していた。
あっこのお母さんは 、『病院の廊下で携帯電話に耳を押し当てて、涙を流しながら選手たちと一緒に校歌を歌う姿が忘れられない』と泣いた。
11月に退院したが、翌年2月に腰に転移が見つかった。
また治療を始めれば最後の夏に間に合わなくなる。
あっこは残された時間をグラウンドで選手たちと過ごす事に決め 「治療はやめる」と両親に告げ、部活に戻った。
5月には医者から 『年を越すことはない』 と宣告された。
体調が悪くて授業に出られない日も、「グラウンドに来ると元気になる」と言って練習に顔を出した。
前よりも色白でやせた顔に、感染症防止の白いマスクを着けていたが、明るい笑顔は変わらなかった。
「絶対もう一度、甲子園に行こう。去年行けなかったあっこを連れて行こう」
あっこも7月の県大会初戦もベンチで見守った。
しかし、甲子園の夢は叶わなかった。
「ごめん、あっこ。甲子園に連れて行けなくて」
「いいよいいよ、よく頑張ったよ」
泣きじゃくる仲間達のユニホームのすそをつかみ、あっこも泣いた。
『みんながいるから私も頑張れた』
と笑顔でナインに感謝していた。
9月23日
野球部の選手たちは 『来年、あっこと見よう』 とグラウンドの花壇にチューリップを植えた。
あっこも『一緒に植える』と心待ちにしていたけど、体調を崩してしまいできなかった。
9月26日
自宅であっこが倒れて入院。
10月29日
静かに息を引き取った。
10月30日 葬儀の後、霊柩車は楊志館高校のグラウンドのダイヤモンドを一周しユニフォーム姿のナインは泣きながら校歌を歌って別れを告げた。
そして、監督が選手たちに、一枚の画用紙をそっと差し出た。
そこにはたどたどしい 『ありがとう』 の文字。
なくなる2週間前、病室を訪れた監督が、『何か書いてくれ』と手渡すと、 目を開けられず気道を切開して話す事も出来なくなったあっこが必死に書いた言葉だった。
『みんながいるから私も頑張れた』
みなさんも、家族、友人、仲間がいるから頑張れると思います。
今日は、12回目の結婚記念日。
素直に『ありがとう』を伝えます。
院長 野村